19日の卒業証書授与が流れたので、卒業証書を取りに来た学生たちと一緒に小さな「卒業証書授与」を催した。
以下、その時に学生にした「贈る言葉」
口直しに、卒業生たちに配った色紙に書いたのは于武陵の詩と井伏鱒二の訳詞
しかし、こんだけ言われると、やっぱり人生の骨格は「サヨナラ」で、その隙間で生活してるのだと納得してしまう。
以下、その時に学生にした「贈る言葉」
皆さんの卒業をお慶びします。
今年は、震災のために卒業証書授与が流れてしまい、皆さんは残念だったろうと思います。しかし、申し訳ありませんが、私はあまり残念だと思っていません。ご承知の通り、和光大学は「卒業式」とは言いません。「式」と呼ばず、式典としないようにしています。世間は大学に入学すること、卒業することを重視しますが、大学に入学すること自体、卒業すること自体よりも、その間に皆さんがどのように素敵な時間を過ごせたかに重きを置くことの表れと、私は解釈しています。
しかし、近年の和光大学はだんだん他大学のような「卒業式」らしい卒業証書授与になってきています。和光大学が自らの教育理念を振り返って、原点に返るためにも、こうした小さな卒業証書授与の機会があったことはかえって良かったと思います。こういうことを企画してくれた学生に感謝します。
でも、手放しで喜ぶわけにも行かないかも知れません。例えば袴姿の晴れ着を着ようと思った人は生涯の唯一の機会を逃して残念だったでしょう。私が理事長をしている和光学園生協では、レンタル晴れ着代の返金は数百万円だと聞いています。和光大は小さな大学だからまだ良い方で、女性が多いO大学は数千万円の返金だそうです。衣装屋さん大変ですよね。パーティーも卒業パーティーに限らずキャンセルが相次いでいます。多くの飲食業が大変なことになっているかも知れません。経営が危なくなるかも知れません。その原因は、交通や停電の問題もあるでしょうが、「人が災難に遭っている時に宴会なんて申し訳ない」という自粛の影響が大きいと聞いています。大被害を受けなかった地域の社会は、これから東北の復興を経済的に支えなくてはならないというのに、こんな状況が続くと、自分たち自身の生活が苦しくなるようなことをしてしまい、東北の支援の足を引っ張りかねない状況になってしまいます。
つまり、皆さんが、この危機に何かなしくてはと思った時に、「お金も出せないし、ボランティアもする機会がない。せめて心だけでも表明したいから、いろいろ自粛しよう」というのは悪魔の選択、東北地方を含めた日本社会を苦しめかねない最悪の選択です。
しかし、それは分かってても、この自粛の連鎖は止まらないでしょう。それは、この社会に同調圧力というものがあるからです。「みんなが自粛しているから、うちも自粛しよう」という判断基準です。そうした流れができている時に、あえて挙行して、何かトラブルが起きたら大変な非難を被る。たとえ何事もなくてもみんなから批判されたら、自分だけ矢面に立たされる。そう考えると、理性的にはやるべきだと思えることでも足がすくみます。結局、みんなと同じようにしようと、他の人の顔色をうかがって勝ち馬に乗ろうとします。もしも大学がそういう判断基準で卒業証書授与延期を決断していたとしたら最悪です。
しかし、時にはそれが地獄への道になることは、過度の自粛の連鎖だけではなく、70年前の戦争からも我々は学んだはずです。そういう同調圧力に、歯止めを掛けうるのは、理性的に考える力だけです。客観的な認識に基づいて、論理的に考えて行動する力です。大学では、皆さんにそうしたことを教えたつもりです。和光大学は、もともと同調圧力に鈍感な学生も多いので、むしろ、皆さんの同調圧力に応じない力を伸ばしたつもりと言うべきかも知れません。
同調圧力に完全に抵抗することは難しいでしょう。でも、その流れの中でちょっとでも立ち止まって考える人が一人でも多い方が、世の中は確実に良くなると思っています。大学という所はそういうやり方で、世の中を良くしていく機関だと思っています。
どうかそういうことを胸に秘めて社会で活躍して下さい。これが皆さんの卒業に当たって私からの「贈る言葉」です。
口直しに、卒業生たちに配った色紙に書いたのは于武陵の詩と井伏鱒二の訳詞
勧酒 于武陵
勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離
コノサカヅキヲ受ケテクレ井伏の訳詞の最後の2句が有名だが、私がこの詩を知ったのは、野田秀樹の『怪盗乱魔』を観た時に台詞の中にあったのを聞いた時だと思う。この詩は寺山修司が愛していたそうで、当時の人々には馴染みの句でもあったのだろう。寺山はこんな詩も作ってて、「六文銭」が歌っている。
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
さよならだけがなお、私が持っているCDバージョンには()内はない。
人生ならば
また来る春は何だろう
はるかなはるかな地の果てに
咲いている野の百合何だろう
さよならだけが
人生ならば
めぐりあう日は何だろう
やさしいやさしい夕焼と
ふたりの愛はなんだろう
さよならだけが
人生ならば
建てたわが家は何だろう
さみしいさみしい平原に
ともす灯りは何だろう
さよならだけが
人生ならば
(人生なんか いりません)
しかし、こんだけ言われると、やっぱり人生の骨格は「サヨナラ」で、その隙間で生活してるのだと納得してしまう。
とあるひねくれ教員の日記です。勝手なこと無責任に書きます。どこまで本気で、どこまで冗談かと聞かれても、自分でも判然としません。文句いわれれば、根性ないので、すぐ消します(たぶん)。でも気が弱いので文句言われるの嫌です。


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