京都府生まれ。市内成瀬台に在住した。1970年和光大学人文学部芸術学科卒業。
斎藤寿一、荻太郎に学ぶ。創立一期生であった田中は、在学時代から制作には精力的に取り組んでいたという。71年には初個展を養清堂画廊で開催、以後同画廊を中心に全国で発表を行う。また市内のなるせ美術座(旧なるせ村田画廊)でも88年以降、4回の個展を開催している。田中の名を知らしめたのは、1995年の鹿沼市立川上澄夫美術館木版画大賞展での大賞受賞だった。版に彫られた明快な形態、はずむような色彩をもちいた躍動する人体といったモチーフは、80年代までのしごとによくみられた。
斎藤寿一、荻太郎に学ぶ。創立一期生であった田中は、在学時代から制作には精力的に取り組んでいたという。71年には初個展を養清堂画廊で開催、以後同画廊を中心に全国で発表を行う。また市内のなるせ美術座(旧なるせ村田画廊)でも88年以降、4回の個展を開催している。田中の名を知らしめたのは、1995年の鹿沼市立川上澄夫美術館木版画大賞展での大賞受賞だった。版に彫られた明快な形態、はずむような色彩をもちいた躍動する人体といったモチーフは、80年代までのしごとによくみられた。

